もぐうさノート

惰性で生きてます。

詰将棋は意味あるのか問題

遅きに失した感はあるが、

自分の見解を述べておこうと思う。

 

ざっくり整理すると、

藤井四段:現在ブレイク中。言わずと知れた中学生棋士

詰将棋解答選手権三連覇。

増田四段:2016年新人王。藤井四段を意識してか、

いくつかの場で「詰将棋意味ない」という発言。

(実際にプロになってからは解いてないとの事)

 

こういった対立(?)構造は、プロレス好きの私としては

大歓迎なのだが、こと「詰将棋」というものが

絡んでくると、少し面倒なことになるのかな、と。

 

昔から詰将棋は将棋上達において必要不可欠と

言われており、多少の誇張はあるのかもしれないが

「実戦などせずとも、詰将棋をひたすら解いていれば棋力は上がる」

と言われた(言った)ようなエピソード等も枚挙に暇が無い。

そもそも、当の増田四段の師匠にあたる、森下九段が

↑のような事を言っていた気が… 

 

私自身の見解としては、詰め将棋は

将棋上達に必要不可欠だと考えている。ただし

自分自身がそうであるように、「級位者ならば」という

前置きが付くが。

 

将棋における詰将棋とは、

サッカーやバスケットボールにおけるシュート、

ゴルフにおけるパット、体操なら着地といった

所謂「フィニッシュ」の練習だと思っている。

 

そいうった競技において、フィニッシュの練習を

重ねることで、プレスが厳しい状態でもシュートを枠に入れたり、

長い距離のパットを決めたり、多少体勢が崩れても綺麗な

着地に持って行けたりする。詰将棋も同様に

いろいろな詰みパターンを覚え、体系的に知ることで

相手玉や自玉の詰むor詰まないを判断することができる

(と思っている)。

 

仮に、Jリーグで新人王を獲るような天才ストライカーが

いたとして、その人が「シュート練習なんて必要ねえんだよ」

なんて事を言ったとしても、世のサッカー部員やユース所属の選手達は

今後もシュート練習を続けるだろう。

 

つまりは、一人の"天才"の特異性であり、独自性に尽きる

という事です。