もぐうさノート

惰性で生きてます。

手抜きは悪なのか?

まず結論

否。手抜き≒最適化、あるいは効率化であり

成果さえ伴えば、悪であろうはずもない。

ただし、「過程」というよく分からん評価軸があり

そいつとはトコトン相性が悪い。

そして、その評価基準が異様に高い人も

結構いる。

 

手抜きとは

とあるアニメーターが、アニメ制作にあたり

「いかに手を抜くか」的な発言をしたそうで

炎上してしまったらしい。

その後フォローになってないフォローをしたりと

火に油を注いでしまったようだが、そもそも

手抜きとはそんなにいけないものなのか。

 

病巣

この話を見た時、最初に思い浮かんだのは

エヴァ」主題歌を作詞された方の話だった。

#あえて名前は出さない

この方はエヴァ本編を観たことが無く、今後も

観る気がないと各所で語っている。

巷ではえらく炎上しているようで

自分も最初は「え?」と思ったのだが、

最終的には、まあそういう考えもあるよね

ぐらいに落ち着いた。

 

あとは、Excelマクロを作って「ズルい」と

言われたり、料理で「めんつゆ」や化調使うと

ブーイングが出たりとか。

病巣というか、根本となる感情は同じなような

気がする。

 

 過程という付加価値

自分は昔、ボニーピンクというアーティストが好きだった。

さらにその中で1枚、毎日聴いていたほど

気に入っていたアルバムがあった。

 

ある時、雑誌のインタビュー記事で

当人がそのアルバムに触れて

「当時は曲を作るのにメチャクチャ苦労した」

「鬱になるほど追い込まれた」

「作り終えた今は、とても気が楽」

的な事を述べており、当時の自分は酷く落胆したことを

覚えている。

 

もう何十年前のことなので、細かな内容は

ほぼ覚えていないが、今になって考えてみると

「生みの苦しみ」みたいなものを表現していただけ

だったのかもしれない。が、精神的に幼かった自分は

「こんな素晴らしい曲は、さぞ充実した気持ちで

制作していたのだろう、いて欲しい」という気持ちが

あったのだと思う。その(勝手に想像した)バックボーンが

(勝手に)裏切られたことで、落胆したのではないか

と考えている。

 

完成品、下から見るか?横から見るか?

成果主義”という言葉がある。こんな言葉があるということは

成果以外の評価軸がある。これを総じて「過程」と

呼ばれることが多い。

そして、評価対象や被評価対象ごとに

評価、すなわち価値の軸が変化していく。

 

沈黙は金

結論に戻る。

「手抜き」というのは聞こえが悪いが、

やっていることそのものは、言わば最適化であり

効率化である。

成果の質が極端に落ちてしまうのは当然ながら問題だが

そうでないのであれば、全く問題がないどころか

称賛されるべきことであるはず。

 

ただし、過程を評価”したがる”人たちは

「どう作ったか」という点を見て、意に沿わない所が

あると、猛烈なマイナスを喰らってしまう。

 

まあ、不言実行がカッコイイってことで…